「第2章 労務業務の現状分析と課題整理」企業の労務業務におけるAI RAGの効果的な活用方法に関する研究

第2章 労務業務の現状分析と課題整理

2.1 労務業務の定義と業務範囲

労務業務とは、企業が従業員を雇用し、適切に労働条件を管理・運用するために行う一連の業務を指す。具体的には、労働基準法をはじめとする各種労働関連法令への対応、就業規則および諸規程の整備・運用、勤怠管理、給与・社会保険手続き、労働時間管理、休暇制度の運用、労使トラブル対応などが含まれる。
加えて、近年では働き方改革や多様な雇用形態の普及により、テレワーク規程、副業・兼業対応、育児・介護休業制度の運用など、労務業務の対象範囲は拡大傾向にある。このように労務業務は、単なる事務処理にとどまらず、法令遵守、制度設計、従業員対応といった複数の側面を併せ持つ知識集約型業務である点に特徴がある。

2.2 企業規模別に見る労務業務の特徴

労務業務の運用形態は、企業規模によって大きく異なる。中小企業では、総務担当者や管理部門の一部として労務業務が兼任されるケースが多く、専門人材の不足や知識の偏在が課題となりやすい。一方、中堅・大企業では専任の労務担当者が配置されるものの、組織の複雑化に伴い、規程や運用ルールが多層化し、現場との情報伝達に齟齬が生じやすい。
また、企業規模が拡大するにつれて、従業員からの問い合わせ件数も増加し、労務部門が問い合わせ対応業務に多くの工数を割かざるを得ない状況が生まれる。この結果、規模の大小を問わず、労務業務は人手不足と業務負荷増大という共通の課題を抱えることとなっている。

2.3 労務担当者への問い合わせ業務の実態

企業における労務担当者への問い合わせ業務は、社員からの制度確認や手続きに関する質問を起点として発生する。これらの問い合わせは、メール、社内チャット、口頭など複数のチャネルを通じて寄せられ、その内容は有給休暇、労働時間、社会保険、育児・介護休業制度など、日常的かつ反復的なものが大半を占めている。

図1 労務業務フロー

図1は、日本企業における一般的な労務担当者の問い合わせ対応業務フローを示したものである。労務担当者は、問い合わせを受領した後、まず内容を整理し、関連する就業規則、各種規程、運用マニュアル、法令情報などを確認する。この段階で判断が可能な場合は、そのまま社員に回答が行われる。
一方で、労務業務は法令解釈や個別事情への配慮が求められるケースが多く、担当者自身の知識や経験のみでは判断が困難な場面も少なくない。このような場合、労務担当者は上司や管理職に確認を行ったり、社外の社会保険労務士などの専門家に助言を求めるプロセスを経ることとなる。
この確認プロセスは、回答の正確性を担保する上で重要である一方、以下のような課題を内包している。第一に、確認先が人に依存するため、即時性が確保しにくく、回答までに時間を要する点である。第二に、同様の問い合わせであっても、都度同じ確認プロセスが繰り返されることから、知識が蓄積・再利用されにくい点が挙げられる。第三に、確認結果がメールや口頭で共有されることが多く、組織的なナレッジとして残りにくいという問題がある。
その結果、労務担当者は問い合わせ対応のたびに「調査・確認・判断」を個別に行う必要があり、業務が非効率化するとともに、対応内容の属人化が進行する。この構造は、問い合わせ件数の増加に伴って労務担当者の業務負荷を指数関数的に高め、戦略的な労務施策や制度設計といった高付加価値業務への時間配分を困難にしている。
以上のように、労務担当者への問い合わせ業務は、単なる質疑応答ではなく、複数の知識源と人的判断を経由する複雑な業務フローとして成立している点に特徴がある。この構造を前提とせずに単純なFAQ化や自動応答を導入しても、根本的な課題解決には至らないことが示唆される。

2.4 ナレッジの分散・属人化問題

労務業務に関するナレッジは、就業規則や各種規程、社内マニュアル、過去のメール対応、担当者の経験知など、複数の媒体や形式で分散して管理されていることが多い。このような状態では、必要な情報に迅速にアクセスすることが困難であり、担当者個人の記憶や経験に依存した運用が常態化しやすい。
特に、法改正への対応や例外的な運用判断が必要なケースでは、過去の対応履歴や解釈が十分に共有されていないことが問題となる。結果として、ナレッジの属人化は業務効率の低下だけでなく、担当者交代時の引き継ぎ負荷や組織的なリスクを高める要因となっている。

2.5 法改正・制度変更への追随負荷

労務業務は、労働関連法令の改正や行政通達の変更に強く影響を受ける。法改正が行われるたびに、企業は就業規則や運用ルールの見直し、従業員への周知、システム設定の変更など、多岐にわたる対応を迫られる。
しかし、これらの対応は必ずしも一元的に管理されているわけではなく、規程の改訂と実際の運用が乖離するケースも少なくない。また、過去の制度と新制度が混在する移行期間においては、問い合わせ対応の難易度がさらに高まる。こうした法改正への追随負荷は、労務担当者の業務負担を増大させる大きな要因となっている。

2.6 従来のIT化・FAQ化の限界

これまで多くの企業では、労務業務の効率化を目的として、マニュアルサイトやFAQ検索サイト、社内ポータルといった情報提供型のITシステムを導入してきた。これらのシステムは、就業規則や各種制度説明を文書として集約し、社員が自ら参照することを前提として設計されており、一定の業務補助効果を果たしてきた。
しかし、これらの従来型システムは、利用者が適切な検索語を入力し、該当する情報を自ら見つけ出すことを前提とする「検索中心型」の設計思想に基づいている。労務業務においては、制度や用語自体が複雑であることから、社員が自らの疑問を適切なキーワードに変換できない場合が多く、結果としてマニュアルやFAQが存在していても利用されず、労務担当者への直接的な問い合わせが継続的に発生する構造が温存されている。
また、FAQ検索サイトは質問と回答を一対一で対応づける形式が一般的であるが、労務業務では雇用形態や勤続年数、個別事情、社内運用などの条件によって回答が変化するケースが少なくない。このため、あらゆるケースを想定したFAQを事前に整備することは現実的ではなく、FAQの増殖による検索性・保守性の低下という新たな問題を引き起こしている。
さらに、法改正や社内規程の変更が発生するたびに、マニュアルやFAQの内容を人手で更新する必要があり、その作業負荷は労務担当者に集中する。更新漏れや古い情報の残存は、誤解や労使トラブルの原因となるだけでなく、情報システム自体への信頼性低下を招く要因ともなる。
このような課題を整理すると、従来のIT化は「情報を置いておく」ことには適している一方で、「利用者の文脈を理解し、必要な情報を取捨選択して提示する」ことは想定されていないことが分かる。すなわち、労務業務における問題はIT導入の有無ではなく、検索前提の情報提供モデルそのものに内在する限界に起因している。
この点を明確にするため、表1において、従来型FAQ・マニュアルサイトとAI RAGを労務業務への適合性という観点から比較する。

表1 従来型FAQシステムとAI RAGの比較(労務業務を対象として)
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